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アンチェル:年表

1908年4月11日   トゥカピにて誕生。
1910年2歳妹・ハンナ誕生。
1914年6歳ヴァイオリンを始める。
1919年11歳地元のオーケストラでヴァイオリンを担当。
1921年13歳プラハのギムナジウムに入学。(注1
1926年18歳プラハ音楽院に入学。作曲を専攻。(注2
1930年6月24日22歳チェコフィルを相手に卒業作品〈大オーケストラのためのシンフォニエッタ〉とベートーヴェンの〈田園〉を演奏。正式な場での初めての指揮であった。
1931年5月17日23歳ヘルマン・シェルヘンのアシスタントとして、ハーバのオペラ〈母〉の世界初演にたずさわる。
1931年23歳プラハ解放劇場の指揮者兼ヴァイオリニストとなる。
1931年23歳ヴァリ・ヴィゴヴァと結婚。
1932年24歳妹・ハンナ亡くなる。
1932年24歳国際現代音楽祭 International Society for Contemporary Musicで客演。以降1937年までほぼ毎年出演し、ヨーロッパ各地で演奏。
1933年8月25歳シェルヘンの招きによりシンポジウム「現代音楽の15年」に参加。
1933年25歳ターリヒのマスタークラス受講。
1933年25歳プラハ放送交響楽団の音響係となる。
1935年3月31日26歳プラハ放送交響楽団とのプロコフィエフ〈交響曲第3番〉初演の成功により、チェコフィルの招きで同曲を演奏。
1938年30歳「現代音楽連合 the Association for the present time」を組織。(注3
1939年31歳ドイツがチェコスロヴァキアを占領。これに伴い、プラハ放送交響楽団の職を解雇される。
1942年11月12日34歳ゲシュタポに発見され、テレジーン強制収容所に送られる。
1943年2月28日34歳長男イワン誕生。
1944年10月16日36歳アウシュヴィッツを経てフリードランドの労働キャンプへ。アンチェル以外の家族はガス室に送られる。
1945年5月37歳赤軍によって解放される。
1945年?37歳ハンナ・グルックリコヴァと再婚。
1946年38歳「5月5日劇場」の首席指揮者として楽壇に復帰。
1946年38歳ハンナとの長男イルジー誕生。
1947年9月1日39歳プラハ放送交響楽団の首席指揮者となる。
1948年40歳プラハ音楽アカデミーで後進を育てる。
1948年40歳ハンナとの次男イワン誕生。
1950年11月42歳チェコフィルの指揮者に任命される。 1956年からは首席指揮者となる。
1954年46歳初のツアー(東ドイツ)を成功させる。
1956年6月11・12日48歳ウィーン祝祭週間に招かれ、メニューインと演奏。
1958年6月10日50歳ウィーン・ムジークフェラインにてドヴォルザーク〈スターバト・マーテル〉を演奏。この年、オーストリア、スイス、ドイツにも赴く。
1959年51歳オーストラリア、ニュージーランド、日本、インド、中国、ソ連を回るツアーを行う。
1962年4月17日54歳ベルリン・フィルに招かれ、シュナイダーハンとストラヴィンスキー〈ヴァイオリン協奏曲〉を演奏。この年、北欧4か国にも赴く。
1965年10月9日〜11月20日57歳初のアメリカツアーを行う。
1966年9月29日58歳"National Artist of Czechoslovakia"を受賞。
1967年10月1日〜11月17日59歳再度アメリカへ(10月12日にはカーネギーホールで演奏)。モントリオール万国博覧会での〈我が祖国〉の成功により、トロント交響楽団から音楽監督就任を要請される。
1968年8月21日60歳チェコ事件起こる。タングルウッド音楽祭に来ていたアンチェルはカナダへの亡命を決意。
1969年5月28日61歳プラハの春音楽祭で、チェコフィルとの最後の演奏を行う。
1969年10月14日61歳トロント響指揮者として初の演奏会が行われる。
1970年4月26日62歳オスカル・モラヴェッツ〈アンネ・フランクの日記から〉の世界初演を行う。オットー・フランクも同席。
1970年62歳ニューヨーク管、ボストン響、クリーヴランド響、ロサンゼルス管、サンフランシスコ響に客演。
1973年7月3日65歳死去。
1983年妻ハンナ死去。
1993年5月12日「プラハの春」音楽祭初日にアンチェルと妻ハンナの遺灰がプラハに運ばれ、ヴィシェフラドに埋葬される。
 

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2008年4月11日公開、2008年12月17日更新
高橋 綾(ayat01 @ infoseek.jp)
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